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明るい未来に生きたい 引きこもりのブログ

ある朝、仕事に行けなくなった時の話。退職までの症状や考えていたこと

仕事に行けなくなった時の話

こんにちは。たに(@taninote)です。

この記事は、ある朝から会社に行けなくなった私の体験談です。仕事に悩んでいる方や、うつ病・適応障害を気にされている方に、少しでも参考になる部分があればと思います。

当時のネガティブな感情も綴っているので「今は暗い話は読みたくないな」と感じる方は、ブラウザバックしてくださいね。

 

はじめに

入社から約半年後の朝、私はどうしても会社に行けませんでした。その日の朝は、ベッドから起き上がることも、会社に連絡を入れることも出来ず、動悸に悩みながら過ごしたことをぼんやり覚えています。

これからこの記事では、私が会社に行けなくなる少し前から会社を辞めるまでの症状や、当時の私が考えていたことを記します。しかし、私は病院に行っておらず、うつ病や適応障害などの診断を受けていないことを予めご了承ください。

まえがき

  • 私は医療従事者ではなく、個人的な経験と考えに基づいてこの記事を書いています。
  • 各項目の前半部分には当時の状況や気持ちを。グレーの四角内には今の私が考えていることを書いています。

 

仕事に行けなくなる前

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まずは、私が会社に行けなくなる前に考えていたことを、お話します。

本心に嘘をつく日々

入社から日が経つにつれて、私は自分の会社を嫌うようになっていました。職場環境の在り方や、事業内容、上司の仕事のやり方に疑念を抱くようになり、モヤモヤとした気持ちを抱く日々。会社に誇りを持てず、仲の良い友人や家族にすら自分の会社の話をしませんでした。

一方、周りの社員は良心的な人が多く、私に居場所を与えてくれた会社には感謝していました。だから、上司や会社の良い面を見つけては、それを自分に言い聞かせ、前向きに過ごそうと考えました。この会社にいることは自分にとって価値があると、自分に納得させたかったのです。

学生の頃から、やる気を出すためにストイックな目標を立てたり、ポジティブな思考を持つように心がけているタイプでした。また、人を嫌ってはいけない、誰にでも良いところはあると、ほぼ無意識の内に考えていました。

無理に前向きにならず、自分の本心を理解すること、苦手な人や物は「苦手」と認識することが大切だと、今は考えています

動悸と頭痛に悩み始める

入社から約4か月後。私は動悸と頭痛に悩み始めます。これまで病気とは無縁の人生だったので不思議な感覚でした。けれど、思春期に生理が始まるように、20代女性の身体変化の特徴として動悸や頭痛が起こっていると、当時の私は考えていました。また学生の頃から気合いで乗り切る人間だったので、病院に行こうなんて思いもしませんでした。

しかし入社から5か月目には、どうしても調子が悪く休憩時間にひっそりと横になる日が増えました。また、直属の上司が苦手で、その方と連絡を取り合ったり会話をする時や、その方と関わらなければいけないと分かっている日には、動悸が激しくなり出社することが辛かったです。

もともと健康体質で「病は気から」と考えることがあったので、自分の考え方を変えれば元気になると思っていました。(今はそのようには考えていません。)当時の私は学生時代の部活動の影響で「根性論」を自然に身に着けていました。

被害妄想が強くなる

動悸や頭痛に悩み始めた頃、今まで気に留めなかった周りの会話を気にするようになりました。たまたま「日本人は真面目すぎるからうつ病になる」という職場の人の会話を聞いた時は、自分のことを指摘されていると思い込みました

当時の思考回路はこんな感じです。

「あの人たちは私のことを『真面目な人だ』と言っているんだ。そういえば子どもの頃にも『真面目だね』と言われたことがある。私は不器用な人間で、うつ病になると思われていて、あの人たちは私のことが嫌いになったんだ。」と本気で考えていました。

本当はただの世間話に過ぎない会話だったのですが、当時は周りの人の会話から自分が責められていると感じることが多かったです。そうして自分で自分を責める内に、自己肯定感を失っていきました。

頭の動きが悪くなる

脳の周りがベールに包まれている気分でした。上手く考え事ができず仕事が進みません。また、会議の日程など上司から言われたことを記憶することが難しくなり、聞き返すようになりました。

ついさっき言われたことを忘れてしまうなんて、上司からは「本当に駄目な部下だな」と思われているに違いないと、自分で勝手に考えていました。負のループに入る一方です。

子どもの頃から勉強や考え事をすることは好きでしたが、この頃は頭がスッキリとせず、一体いつからこんなにバカになったのだろうと思っていました

涙が流れる

入社から5か月目の半ばには、よく泣くようになりました。お風呂に入っている時、ベッドで眠りにつきたい時、頭に上司のことが浮かび辛かったです。

さすがに抱えきれなくなり信頼している上司1人に相談しましたが、その方の迷惑になると考えてしまい、本心を全て打ち明けることはできませんでした。会社の環境や上司に適応できないのは自分が弱いからだと思っていました。

この頃は、朝起きることが苦痛になったり、好きなアーティストの曲を聴かなくなったり、吐き気がしたりと複数の変化が起きていましたが、当時はどうして調子が悪いのか分かりませんでした。

やる気を出したいのにやる気を出せない自分が嫌で仕方なかったです。

 

仕事に行けなくなった日

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ベッドから起き上がれない朝

入社から6か月と少しが経った日、私は仕事に行けなくなりました。アラームが鳴ったことも、仕事に行かないといけないことも、出勤しないと会社に迷惑をかけることも、頭では分かっています。それでもベッドから動けませんでした。

この日は苦手な上司に連絡を取らなければいけない日だったのですが、ついに関わることを避けてしまいました。暗い部屋の中で、動悸に悩みながら泣きながら過ごしたことをぼんやり覚えています。

心の中に溜め続けた想いが頂点に達して、ふっと決壊しました。人の心は突然に壊れるのではなく、我慢を続けた結果、些細な出来事がきっかけとなり限界を迎えると学びました

 

仕事に行けなくなった後

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ここからは、会社に行けなくなってから退職するまでの話です。

暗闇にこもる

会社に行けなくなった直後の記憶はあまり残っていません。覚えていることは、電気を付けず、カーテンを閉め切った暗い部屋の中、ほとんどベッドの上に転がっていたこと。そして今が朝なのか夜なのか分からない時間を過ごしたことです。

また、ご飯をほとんど食べなかったので短期間で痩せました。

家族に隠すために家を出る

当時の私は実家暮らしで両親と一緒に暮らしていました。あまり干渉しない親ですが、私が仕事に行けなくなったと知られるのが嫌で、仕事に行っている振りをしようと考えました。

朝は起きれないので、両親が仕事に行った後、お昼頃に家を出ました。それから駅のホーム、マクドナルド、図書館で時間をつぶして、親と顔を合わさないよう0時過ぎに帰宅する日々を繰り返しました。

子どもの頃から両親に褒めらることが好きだったので、情けない自分を見せることで、嫌われたり、落胆されることが怖かったのだと思います。そんなに簡単に親は子どもを見放さないことも、本当は仕事に行っていないことなんてすぐに見つかることも、当時は考えていませんでした。

希死念慮を持つ

家を出れる状態ではありましたが、よく死にたいと考えました。駅のホームに入ってくる電車と線路の隙間を見て車輪に轢かれたいと感じたり、道路を走る車のタイヤばかりを目で追っていました。エスカレーターや階段の上から地面を見下ろしては、ここから飛んでみたいとぼんやり考えました。

今は電車や車を見ても何も思いません。当時の思考が異常だったことが今は分かります。同じような考えを抱いている方がいれば、医療機関を受診されたり、誰かに相談できることを願っています。

私の場合、道路を走る車を気に留めず歩けていることにある日ふと気付きました。辛い気持ちは時間が経てば薄れていくと実感しました。今、辛い思いを抱えている方にも少しずつ穏やかな時間が戻ることを願っています。私自身は、この頃が一番辛かったかもしれません。

うつ病/適応障害と検索する

仕事に行けなくなって約3週間後、久しぶりにインターネットに接続しました。そして毎日のように「うつ病」「適応障害」と検索して片っ端から記事を読みました。インターネット上で公開されているうつ病の診断テストは何回もやりました。

そして私は適応障害かもしれないと考えるようになりました。近所にある心療内科に行こうと思いホームページを見ましたが、その病院は人気があるようで初診の受付は行っていませんでした。他の病院も検索しましたが、電話をかけて予約を取る気力がなく結局は病院に行きませんでした

インターネットに接続しても友人からの連絡には返事を送れませんでした。この頃は人と関わる気力が全く起きず、病院に電話をかけることすら出来なかったです。

当時の私と同じような症状を抱えている方には、できれば病院に行ってみてほしいなと思います。もしも、あなたの身近に過去の私のような人がいるなら、病院の予約などをサポートするといいかもしれません。精神的に疲れてしまうと、今まで普通に出来ていたことが思うように出来ません。少しの助けがあると嬉しいです。

退職

結局私は家族と会社に迷惑をかけながら退職しました。また同じ職場で苦手な上司と働くことを想像すると辛く、耐えられないと感じたので、私の中に休職という選択肢はありませんでした。

仕事に行けなくなった後、私のように退職する人もいれば、一旦は休職を選び、しばらく後に復職する人もいます。お医者さんや、家族、友人、彼氏彼女など、誰か1人にでも相談してから自分の選択を決めると、退職後・休職中により安心して過ごせると思います

でも、こういう時こそ人を頼れない気持ちも分かります。私はそうでした。

 

おわりに

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辛い時間も多く過ごしましたが、当時の想いをブログに書けるほどに、ようやく回復しました。最後に今回学んだことやこれからの人生について書き記します。

自分と向き合うことの大切さ

今回たまたま会社や上司との相性が悪く、私は暗い日々を過ごすことになりましたが、元々の考え方で生きていれば、いずれどこかのタイミングで心が破綻していたと思います。以前の私は、親や社会からの目線を自然と気にしており、いつの間にか自分の好きなことや本当の性格が分からなくなっていました。

このタイミングで自分と向き合うことが出来てよかったと今は考えています。

信頼できる人の有難さ

私は元の会社や上司を信頼できず、悩みを抱え込んだり不信感を抱いたりと、マイナスの方向に物事を進ませてしまいました。そこで最終的に親を頼りましたが、自分の弱い部分をさらけ出せる人、信頼できる人の存在は、何にも代えがたいなと感じます

これから少しずつ信頼してもらえる行動をとって、信頼できる人を増やして、温かい人間関係を作っていきたいです。

最後に伝えたいこと

私は「明るい人」と言われることが多く、今までの自分の人生にもそれなりに満足していたので、まさか自分がこのような経験をするとは思ってもみませんでした。真面目な人や明るい人ほど心のどこかで無理をしているのかもしれません。あなたがありのまま、笑顔で過ごせることを願っています。

辛い時、私がよく聞いていた曲「BEAUTIFUL」も、よければ聴いてみてください。

最後の最後に

人生、もう谷底に落ちたと思っていましたが、私は好きな国に行って新しい出会いを楽しむことが好きです。季節のささやかな変化を写真に収めたり、楽器の練習を重ねてお客さんに喜んでもらうことが好きです。自分の好きなことを集めて、もう一度素敵な景色を見れるように、谷底からでも、少しずつ登っていきたいと思います。

 

追記

仕事に行けなくなってから、約半年経って、ようやく心から笑えるようになってきました。よければ後日談として読んでみてください。

 一時は就職活動を始めようと思い立ち、このような記事も書きました。

しかし、あまり体調と気力が安定せず、2019年7月時点で就職活動はできていません。今も気分は上がったり下がったりですが、徐々に就活をリスタートしようと考えています。

どんなに暗く落ち込んでも、それでもやっぱり希望はあると、信じていたいです。

 

2019年7月3日 追記。